sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

ADHDとして生きるということ①・学童期

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まず、ここで自分のことを詳しく書いておこう。

 

僕は現在55歳、独身のひとり暮らし。30年務めた会社を訳あって辞め、いまは福祉職員として働いている。夜勤を伴う仕事のおかげで体調は悪い。特に突発的な目眩は厄介で、ときには何時間も動けなくなったりする。

 

6年前、自分と相性の良い心療内科でWAISⅢという知能テストを受け、「ADHDの可能性あり。また発達面での不器用さもみられる」との判定が下された。高額な検査費を払ってこのようなテストを受けたのは、むろん身に覚えがあったためだ。周囲の怒りをかう物忘れ、苦手な片付け、社会的信用を失うレベルのあり得ないミス……。

 

人前でこういう悩みを打ち明けると、たいていは「間違いは誰にでもある」のひと言で片付けられてしまう。僕が一番嫌いな言葉だ。ADHDのやらかすミスといったら、常人の想像できる範囲をはるかに逸脱しており、だからこそ「障害」以外の何物でもない。それを「個性だ」などと言い換えている限り、僕らの苦難が本当に理解されることはないと思っている。

 

前回も書いたが、僕の問題行動は少年時代から始まっている。

 

当時はまだ太平洋戦争の記憶が生々しかった時代で、小学校には戦前派や戦中派の教師がたくさんいた。深刻な飢えを経験している彼らは、生徒が食べ物を粗末にすることを許せない。食べ残したコッペパンを捨てるなど「もってのほか」で、必ず家へ持ち帰らされた。ところが僕はそのパンを机の中へ入れっぱなしにして忘れてしまう。パンはすぐにカビだらけとなり、授業参観のたびに母親が惨めな思いで掃除してゆくのが常だった。

 

そのほかにも、いろいろなものを学校へ置きっぱなしにした。教科書を持ち帰るのも忘れるから、その日の宿題をすることもできない。怒った親は学校まで取りに行かせたが、職員室の先生に校舎の鍵を開けてもらう勇気がなく、僕はいつまでも放課後の校庭をうろうろしていた。

 

問題はまだあった。いまでもそうだが、子どもの頃の僕は極端に運動神経が悪かった。最初につまずいたのはドッヂボールで、四方から飛んでくるボールをキャッチすることができない。こちらに飛んでくることが分かっていても、その軌道を読んで体を動かすという一連の動作がとれない。その他の集団競技でもクラスの足を引っ張るため、どんどん友人は減ってゆく。

 

学年が進み、授業に野球が加わるようになるとさらに困った。ドッヂボールよりもはるかに小さな球は、もはやキャッチするなど論外に思えた。おまけにそれは石のように硬い。取り損ねて顔に当たれば大怪我だ。少年野球のメンバーは、本当にこんなものを投げ合っていたというのか。もうひとつショックだったのは、僕を除いて、クラスの全員があの複雑な野球のルールを把握していたことだ。先生は何も説明しないのに、みんなはさっさとグローブを手に取り、ポジションについてゆく。守備と打撃の区別もつかずにオロオロしているのは僕だけだった。

 

(思うに、当時の体育教師もさぞ困ったことだろうと思う。日本人にとっては常識かもしれないが、野球をやらないフランスやドイツの人に対して、あなたはあのルールを分かり易く説明することができますか)

 

ちなみに僕は体が虚弱な訳ではなく、マラソンやウォーキングなら人並みに楽しむことができる。ただし反射神経には明らかに問題があるし、フォームの良さを求められるスポーツはほとんどできない。きちんと診断した訳ではないが、おそらくはADHDとDCD=発達性協調運動障害を併発しているのではないかと思う。

 

だが昭和40年代の地方の学校にそんな概念はない。かわりに、教師も生徒も「こいつが運動神経ゼロなのは親の育て方のせいだ」という結論で一致した。

 

僕の父親は医者だった。多くの同級生が平屋で暮らしているなかで、僕の家は二階家だったし、おもちゃや児童書、教育グッズなども買いそろえてもらえた。だから過保護に育てられているに違いないという理屈だ。あまりにもステレオタイプな思考回路だが、僕自身が彼らの主張を真に受けた。こんな家にいたら本当に駄目な人間になってしまうと信じ、同じように裕福な家庭の子どもやひとりっ子を軽蔑したりした。

 

だが事実はどうだっただろうか。

 

それなりの社会的地位を築いた人物は、子どもに対する期待も大きい。かたや僕はどうだったか。カビたパンを机に放置し、宿題もせず、クラスメートからも教師からも馬鹿にされる。こんな息子を、当然ながら両親は許さなかった。甘やかすどころか、徹底した過干渉で僕のすべてに介入し、ことごとく自立を奪ってゆくことになる。

(次回の記事へ続く)

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