sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

ADHDとして生きるということ⑫ 正式配属

f:id:sonicsteps:20201229165550j:plain

醜態を晒した研修の日々がやっと終わった。確かめた訳ではないが、評価はたぶん同期で最下位だったのではないか。僕は試用期間で会社から追い出されることを恐れたが、さすがにそれは杞憂に終わり、本社営業部への正式配属を告げられた。

 

直属上司の付き添いで、営業部のあるフロアへと向かう。足を踏み入れたとたんに、そのあまりの広さに圧倒された。通路の両脇に広がる空間にはびっしりと机が並べられ、部署を示すプレートが下げられている。その隙間を大勢の職員や顧客が行き交い、なんどもぶつかりそうになった。周囲では電話がなり続け、商談や交渉、連絡や指示など、さまさまな会話が飛び交っている。研修先の営業所とはまるで違う雰囲気に、ただただ飲み込まれるばかりだった。

 

所属部署はフロアの中ほどにあった。課のメンバーを紹介されたあとで、「ここが君の席だよ」と告げられる。研修期間には与えられることのなかった自分のデスクだ。それから名刺と社員手帳、社章バッチや食堂の食券を渡される。周囲では、先輩たちが取引先へ電話をかけ、新人の僕を紹介してくれているらしい。そのやりとりを聞いているうちに、あらためて「自分は正式な営業部員になったんだ」という実感が湧いてきた。 

 

翌日から本格的な仕事が始まった。

 

とはいえ、もちろん初日から取引先へ行って商談をやらされるようなことはない。どんな職種でもそうだと思うが、新人が最初に任せられる仕事は地味なものだ。

 

パソコンなどのインフラが未整備なこの時代では、ほとんどの商取引がペーパーを介して行われる。まずはそれらを確認し、処理してゆくことから教えられた。ADHDにとっては最悪の作業であり、のちに僕の評価を著しく失墜させる一因となるのだが、さすがに初日からミスを責められるようなことはなかった。

 

午後になると、先輩の付き添いで社内の各部署へ挨拶をした。スタッフ部門をひとまわりした後、階段を下って流通部署へと顔を出す。いわゆるブルーカラーの働く現場だ。

 

営業フロアとは別の意味で、作業現場の眺めも壮観だった。広い空間にはベルトコンベアが迷路のように巡らされ、無数の商材が洪水のように流れてゆく。その合間におびただしい人々が配置され、商品の起票や仕分け、検品、梱包など、さまざまな作業を熟練の手捌きでこなしていた。まさに絵に描いたような人海戦術だ。狭い通路にはフォークリフトが走り回り、ときどき向きを変えては、高い天井に届くほど積まれた荷を運んでゆく。北海道から九州、沖縄、さらには遥かな離島まで、ありとあらゆるエリアににおびただしい商材を流通させるため、納品口にも、受品口にも、見上げるような大型トラックがひっきりなしにやって来た。

 

先輩は僕を現場の職制たちに紹介してくれた。年季のはいった作業服を着て、屈強な体を並べた彼らの前に立つと、ネクタイ姿の自分が何ともひ弱な存在に思えてくる。僕は気を奮い立たせながら笑顔を作り、ひとりひとりに深々と一礼した。

 

なぜそこまで気を使うのか。これは研修期間に散々聞かされてきたことなのだが、この会社では、営業職がブルーカラーと揉め事を起こすのはご法度だった。彼らから嫌われたら最後、顧客からの緊急発送や大口起票などのイレギュラーな要請には一切応じてもらえず、すべて自分で処理する羽目になってしまう。逆に彼らを味方につけたら百人力で、さまざまな無理難題にも対応してもらうことができるという訳だ。

 

営業職を拝命して以降、何年経ってもミスを連発していた僕は、そのつどたくさんの現場担当者のおかげで窮地を救われることになる。愚痴を言い、ときには激怒しながらも、彼らは僕のやらかした数々のトラブルに対処してくれた。僕のみならず、困った顧客のために尽力してくれた人も数多い。彼らのことを思い出すたびに、誇張ではなく、いまでも手を合わせたい気持ちになる。

 

さて、多忙のなかで数週間が過ぎていった。この頃になると、ニューフェイスとして歓迎されていた僕も少しずつボロを出すようになってゆく。

 

上長からまず目をつけられたのは整理整頓だった。冒頭でも書いたように、この時代の商取引には大量のペーパーが用いられていた。現在ではメールで事足りるような連絡でも、いちいち膨大なファックスを介してやり取りするため、未処理のもの、未読のものが日を追うごとに溜まってゆく。その他にも、発注書や請求伝票、内部資料や業務連絡、現場の発送記録や起票明細などなどが毎日山積みにされた。それらに混じって、ごく稀ではあるが小切手の入った書留が出てきたりするのだから心臓に悪い。また、取引先への販売宣伝もすべてチラシで行われるのだが、多忙のあまり顧客ごとに配布している余裕がなく、ひどいときには、商材の発売日が過ぎても放置されていたりした。

 

僕のデスクは、たちまち壮絶なごみ溜めと化した。書類はもとより、社内報や給与明細さえ持ち帰る余裕がなく、ひたすら引き出しに溜まってゆく。キャビネやロッカーも同様で、取引先からの贈呈品や女子社員の旅行みやげなど、あらゆるもので溢れ返っている状態だった。

 

上長からは何べんも怒鳴られたが、いくら整理を試みても、数日後にはすぐ同じ状態に戻ってしまう。しかたがないので、僕はそれらのペーパーの山をときどき紙袋に詰め、自宅に持ち帰って整理をすることにした。会社よりは遥かに落ち着いた環境で、要らないものを捨て、連絡文を読み込む。ときには未処理の手書き伝票を発見し、危うく請求漏れを防いだこともあった。このような工夫もまた、現在でいうところの「発達障害ライフハック」ということになるのだろうか。

 

だが、この時代には発達障害という概念さえ存在しない。整理もまともにできない僕は、すぐに周囲から見下されるようになった。それに僕には、研修時代に埼玉県の支社でミスを重ね、周囲に迷惑をかけまくった前科がある。こういう悪い噂は一瞬で広がるのが企業組織の常だ。周囲はもとより、他部署や作業現場、取引先も、ある時期を境に態度が急変してゆくの分かった。

 

さらにもうひとつ。まるで小学校時代のイジメの再来のようだが、内翻足としての歩き方の異常さも指摘された。上長からは「そんな歩き方をしている営業があるか」とはっきり罵倒されたし、他部署からも歩き方の陰口をたたかれる。口の悪いブルーカラーの職員に至っては、「あんなフラフラ歩いている奴はフォークリフトで轢いちまえ」とのジョークまで言い合っているらしかった。

 

それにしても、たかが新人に過ぎない僕に対して、これほど激しく批判が集中するのはなぜなのか。

 

実は、この会社の営業担当者というのは、もともとは作業現場の職員のなかから特に優秀な者が抜擢されていた。彼らのほとんどは高卒者であり、入社後はまず肉体労働に就かされる。そこで最低でも数年間は苦労し、社会人としての素養を身につけた上で、ホワイトカラーへと栄転するのが長年の慣習だった。

 

ところが人事部は数年前より方針を変えた。毎年二十人ほど採用する大卒者をエリートとして優遇し、一年にも満たない現場研修を終えると、全員がホワイトカラーへと引き上げられるようになったのだ。高卒の先輩たちは一気にモチベーションを下げた。自分たちは営業職への転属を夢見て苦労してきたのに、その可能性を大卒の若造どもに奪われたのだから無理もない。逆の立場であれば、僕だって怒りを爆発させていただろう。

 

まあ、そのように優遇された大卒者が、それにふさわしい活躍をしているのなら「致し方ない」ということになるのだろう。ところが僕はどうだったか。実務ではミスを連発し、態度はいつもおどおどしていて、顧客とのビジネストークもままならない。そんな典型的なADHDの能無しが、偉そうにオーダーメイドの三つ揃えを着て仕事をしていたらどう思われるか。憎悪の対象以外の何物でもないではないか。

 

それでも、同じ課の先輩のなかには、懸命に僕のフォローをしてくれる人もたくさんいた。僕のためというよりも、まず顧客に迷惑をかけてはならないという意識が強かったのかもしれないが、この人たちの力添えがあったおかげで、激怒した取引先が同業他社に流れるような最悪の事態は常に回避することができた。いまでも頭が下がる思いだ。

 

だが、当時の僕はそんな先輩たちの想いに気づかず、新人育成に尽力した彼らを裏切る不義理を企てていた。まだ入社して一年目足らずなのに、退職を考えるようになっていたのだ。

 

その布石として、僕はまず社員寮を出ることにした。不動産屋で見つけたアパートは六畳ひと間。風呂もエアコンもなかったが、80年代の独身者としては平均的な住まいだった。部屋へ引っ越すと同時に、まず固定電話を引いた。転職活動には不可欠と思われたからだ。その日から、会社の帰りに書店へ立ち寄り、就職情報誌をチェックするのが習慣となった。

 

転職となれば、どんな職種を選ぶべきか。僕は迷わず編集職を志すことにした。ADHDという概念が知られるずっと以前から、自分は好きなこと、興味のあることにはどんな努力も惜しまない性格であることに気づいていた。逆にいえば、興味もないのに「仕事だから」と与えられた職務をまっとうすることは難しい。というかまったく出来ない。僕は腹をくくることにした。

 

もちろん、編集者のような専門職を目指すためにはそれなりのスキルが必要となる。僕は夜間に通える専門学校の講座を受けることにした。さらに文章力を磨くため、休日の大半を何かしらの文章を書くことに費やした。当時はまだワープロを持っておらず、原稿用紙に手で書きまくっていたから、すぐ指にタコができた。一度などは、仕事で販売促進の出張に行った際、電車移動の途中で膝に原稿用紙を広げ、一篇の記事を書き上げたこともある。まさにADHDの過集中の成果だ。

 

こういうことにのめり込むほど、日中の勤務に対するモチベーションは下がる一方だった。ストレスから毎晩酒を飲み、ほとんど眠らずに出勤したりしていたから、疲労も限界に近づいてゆく。当然ミスなどは激増し、その都度上長から怒鳴りつけられていた。

 

深夜になると、命の電話にもすがりついた。社員寮のときとは違い、いまでは自室に自分の電話がある。相変わらず回線は繋がりにくかったが、番号を繰り返しプッシュしているうちに、初めて相談員と通話することができた。男性の方だったが物腰は柔らかく、話しているうちに心が軽くなってくる。その日から、僕はこのライフラインを頻繁に利用するようになった。

 

ところが、何度も相談員と話しているうちに、彼らのカウンセリングには特定のパターンがあることに気づいてしまった。簡単に言えば、クライエントに自死を思いとどまらせるためのロジックのようなものが確立していて、相談員はそれに基づいて応対を繰り返しているだけなのだ。僕は完全にしらけてしまった。こんなのは自然な人間の会話じゃない。もっと血の通った、例えば落語に出てくる長屋の大家のような人生経験豊かな相談者というのはいないものか。

 

さらに文句を言わせてもらうと、命の電話は相談員ごとの技量の差も大きい。おかしな人に当たると最悪で、かえって傷口が深くなったりする。一度などは、あるミスから百万円弱の損失を出してしまいそうになったことを相談員のおばさんに伝えると、「そんな損害出したんだから責任を取らされるのが当然でしょ」とやられてしまった。人によっては、あれを言われただけで手首を切ってしまうのではないか。(後日、懸命な事故処理と幸運によって、何とか損失は回避できたが)

 

もちろん、彼らの尽力によって数々の人命が救われてきたのは事実だろうし、命の電話の存在意義を否定するつもりはない。ただ、僕個人に限って言えば、本当に悩んでいるときに寄り添って欲しいのは良き友だちや理解者であって、見ず知らずのボランティアではなかったようだ。後日、僕はさらに本格的な心の回復を望んで、さまざまな心理カウンセラーやセラピストを訪ねてまわったが、どうしても彼らの手の内というものを見抜いてしまう。まったく面倒な性分なのだ。

 

それはさておき……

 

ある日のこと。僕は愛読しているサブカル雑誌に、編集者を募集する求人広告が載っているのを見つけた。興奮のあまり立ち上がると、アパートを飛び出し、すぐに履歴書を買ってくる。翌日には電話で先方とアポを取り、面接の日取りを決めてもらった。

 

その出版社は、新宿の雑居ビルにオフィスをかまえていた。応接間に通されると、初老の社長と若手の編集者たちが並んで座っている。僕は封筒から履歴書を取り出すと、一礼して社長らに手渡した。

 

とたんにみなの顔色が変わった。僕の勤める大手企業の名を見つけて仰天しているらしい。履歴書を囲むようにして凝視したあとで、彼らは向き直り、社長がひと言口にした。

 

「端的に言おう、君は何があってもこの会社にしがみつくんだ」

 

あとはもう面接にもならなかった。若い編集者たちも「辞めたら絶対もったいない」「社員食堂がある会社なんてすごいじゃないか」などと、様々な言葉で僕を説得しようとする。僕の転職への意欲はたちまち失せた。内部からみれば不満だらけのあの企業も、世間からはこれほどの羨望の目で見られていたとは。そこへ入社できた幸運をドブに捨てようとするとは、自分はどこまで間抜けで、甘ったれで、世間知らずだったことか。

 

高層ビルの並ぶ新宿の夜景を見上げながら、僕は「もう一度あの会社で頑張ってみよう」と心に決めた。その決断が、さらに自分の精神を蝕んでゆくことになる。

 

続く

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 大人のADHDへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 成人発達障害へ
にほんブログ村

 

外部リンク 

心理オフィスK

人間関係・心の病・トラウマを解決するカウンセリング

 https://s-office-k.com/?amp=1