sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

ADHDとして生きるということ⑦ 高校(中編)

f:id:sonicsteps:20201019110729j:plain

前後して申し訳ないが、時計の針を高校入学の頃に戻させていただく。

 

中学時代の地道な筋トレが功を奏し、僅かながらも運動能力の向上に成功した僕は、高校へ上がると弓道部へ入部した。もちろん、これまでのスポーツに対するコンプレックスを払拭するためだ。

 

種目に弓道を選んだ理由はふたつある。ひとつは根っからの軍事オタクであり、弓矢やゴム鉄砲からゲーセンの機関銃まで、あらゆる飛び道具が大好きだったこと。もうひとつは、何となく運動神経のない者でもこなせそうなスポーツに思えたことだった。

 

その年、弓道部に入部した男子は、僕を含めて三人いた。ひとりは高価なモデルガンやエアガンを集めているマニアであり、もうひとりは勉強はトップだが極度の運動音痴だった。つまり、ふたりとも僕と似たような動機でやってきたらしい。

 

部活そのものは楽しかった。伝統武具である日本の弓は、初めての者がいきなり矢を放てるものではない。最初は「ゴム弓」というパチンコに似た道具を使い、その次は矢をつがえないで弓を引く「素引き」を練習して、体の型や動かし方のコツを覚えてゆく。それができるようになったら、俵によく似た「巻き藁」に向かって至近距離から矢を放つ。最初はこれがうまくいかない。どうしても矢が弦からこぼれ落ちそうになるし、矢ばかりを意識すると体の型がおかしくなっていく。

 

なんとかコツをつかんで矢を射れるようになると、いよいよ道場に立つことが許された。28m先に置かれた的は想像以上に遠く、小粒の点にしか見えない。その点に向かって慎重に狙いをつけ、初めて射抜いたときの爽快感は、弓道をたしなむ者であれば誰でも経験するものだろう。

 

練習に励んだ甲斐あって、僕とガンマニア君はすぐに的を射るところまで上達した。だが、もうひとりの運動音痴だけか上手に弓を引くことができない。それどころか、基礎体力のない彼は準備運動にもついてゆけず、メニューの半分も終わらないうちにリタイアしてしまう。

 

僕は彼をいたわるふりをして、内心ほくそ笑んでいた。夏休みが終われば一年生にとって初めての公式大会がやってくるが、こういう劣等生がいれば、僕の大会出場は確実なものとなる。劣等感の強い者とって、「自分よりも下の人間」ほど有難いものはないのだ。

 

ここまで歪んだ性格だったのか、と自分でもあきれる。それでも「まともなスポーツ競技に参加したい」というのは、僕の切実な願いだった。小学校の運動会でも、中学校の部活でも、いつでも僕は同級生が大活躍するのを眺めているだけだった。大きな公共体育館も、美しい県営グラウンドやナイター完備のスタジアムも、何もかもが遠い世界のものに思えた。いつかあの場所に立ってみたい——その痛いほどの思いが、弓道と出合ったことでようやく叶えられようとしている。チャンスを手放してなるものか!

 

大会を目指して自主的な朝練習も行った。休日に登校してひとりで矢をうちまくったこともある。都会の人には信じてもらえないかもしれないが、僕の自宅から高校までは8キロの距離があり、それを毎日自転車で通った。休日を押しての登校がどれほどの気力を要するかはお分かりいただけるだろう。

 

だが、残酷にもこの努力は水泡に帰した。結論を言えば、一年生で僕だけが大会に出してもらえなかったのだ。

 

ガンマニア君はもとより、あの運動音痴の秀才までが大会メンバーに抜擢された。僕らに出遅れた彼は、部活に加えて社会人主催の弓道教室にも通い、懸命に努力を重ねてきたのだった。誇らしげに大会へと臨むその背中に、僕は「なりたかった自分」をみて嫉妬した。女子の一年生部員が全員出場できたのも屈辱だった。いったい僕のまわりの何が狂ってしまったのだろう。

 

大会の出場者を決めていたのは三年生の元部長だった。彼はこのような仕打ちをした理由を説明してくれなかった。黙って僕の名前のない出場者リストを手渡しただけだ。「お前のような下手くそには説明の必要もない」と言わんばかりだった。

 

たしかに弓道の腕前が群を抜いていた訳ではない。何よりも、僕は弓を引くときのフォームが悪かった。アーチェリーや射撃と異なり、弓道は的への当たり外れだけでなく、矢をつがえ、弦を引き、放つまでの動作の美しさが求められる。それが命中率にも大きく繋がってゆくのは事実だが、有段者試験のような場ならともかく、高校生の試合でそこまでを問うのはかなり厳しい。ガンマニア君や一部の二年生も「君だけ出さないのはおかしい」と言ってくれたほどだ。

 

それでも問題があったとすれば、「会」と呼ばれる動作の欠陥だろうか。これは弓を引ききってもすぐ矢を放たず、しばらくその姿勢を保持することだ。ところが初心者は「早く的を射たい」という気がはやり、つい弦を離したくなってしまう。僕はそれが極端にひどかった。だが、似たような欠点のある一年生は、女子を含めて数人はいる。やはり納得できなかった。

 

もしかしたら、単にこの三年生が僕を嫌っていたことが原因だろうか。もともと体育会肌ではない僕は、先輩に対する態度が少々横柄なところがあった。そんな可能性があったのなら、僕はなぜ彼にその旨を詫びて大会に出してもらおうとしなかったのだろう。それでも駄目なら顧問教師に直談判する手もあったではないか。いまとなっては悔やまれることも多いが、無理に抗議までして大会に出ても、本当に僕の心が満たされることはなかったかもしれない。ただ確実なのは、この一件がその後の人生を狂わすほどの傷を残したということだ。

 

(上に述べた「会」に限らず、弓道という競技は精神的な自己抑制が求められる。平たく言えば「常に落ち着いている能力」だ。僕のような混合型のADHDにとって、これほど不向きなスポーツはなかったといまでは思う)

 

大会に出られなかったことで、他の部員が僕を見る目もだんだん冷ややかなものになってゆく。よせばいいのに、こちらも舐められまいと高圧的に接するから、二年生からも反感を買うことが増えていった。女子部員らも「あの人いつも威張ってるけど、弓がすごく下手なんだよ」との噂を密かにばら撒いているらしい。僕はますます荒み、人当たりがきつくなっていった。特に人の好いガンマニア君には八つ当たりを繰り返し、ひどく嫌な思いをさせてしまった。

 

部活とは疎遠になる一方だったが、それでも一年生のうちはクラスに自分の居場所があった。あのクラスは非常にまとまりがよかったし、僕もまた友人関係を壊さないよう努力してきたことは前回書いたとおりだ。だが、二年に進級すると状況は一変する。クラス替えが行われたために、すこぶる性格の悪い連中とも机を並べなければならなくなったのだ。

 

こちらが何をした訳でもないのに、彼らは新学期から辛くあたってくる。ほとんどが会話もしたことのない面々だ。にもかかわらず、それほど彼らが僕を嫌っていたのはなぜなのか。

 

原因は、やはり歩き方や目つきなど、僕の見た目がことごとく不気味であったためらしい。そういう印象を払拭するために、僕は入学当時からあらゆる努力を惜しまなかったが、その努力はクラスの外には及ばない。他クラスの一部の者は、昨年からずっと僕の異様さに目をつけていた。それが二年生から同じクラスになってしまったという訳だ。

 

一般人の感覚でみたら、やはりADHDの醸し出す雰囲気は不気味でしかないのか。それでも僕は彼らとの関係修復に努めた。無理に話を合わせようとすり寄っていったが、噛み合わずにバカにされるだけだった。

 

気がつけば僕は孤立していた。まるで小中学校時代の惨めな日々に引き戻されたようだ。話の合う友人もいたが、みな同じように周囲から浮いている者ばかりだった。せっかく同じ趣味を持つクラスメートもいたのに、彼がイジメに遭っていたことを理由に、僕は敢えて遠ざかっていった。こいつらと同じにはなりたくない。僕はもっとメジャーなポジションでいたいんだ——。

 

いまから思えば、何て愚かな虚栄心だったのだろうと悔やまれる。もしもなり振り構わず彼らと交流していたら、僕の高校生活はどれほど充実したものになっていたかもしれないのに。

 

現在の僕が、気の合う相手であればニートだろうがオタクだろうがとことんつき合うことにしているのは、あの頃の苦い後悔があってのことなのだ。

 

続く

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 大人のADHDへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 成人発達障害へ
にほんブログ村

 

外部リンク 

心理オフィスK

人間関係・心の病・トラウマを解決するカウンセリング

 https://s-office-k.com/?amp=1