sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

イントロダクション

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いまから87年前のこと。

東京・乃木坂の裕福な家庭に、ひとりの女の子が生まれた。

 

彼女は幼少の頃から変わっていた。入学先の小学校では教室でおとなしくしていることができず、毎日のように迷惑行為を繰り返した。机のふたをやかましく開閉したり、窓辺に通りかかったちんどん屋を呼び寄せたりと、さまざまな奇行に及んでは授業をぶち壊す。激怒した教師たちは彼女を「問題児」とみなし、ついに退学処分を言い渡した。

 

小学校にも通えないようなクズに対して、世間は冷たい。普通に考えれば、彼女の人生はこの時点で「落伍者」として決定づけられていたことだろう。どこへ行っても軽蔑され、社会へ出てもまともな職には就けず、友人もできず、恋人も作れず、無駄な年月だけが過ぎてゆく……そんな最低の一生が彼女を待ち受けていたに違いない。

 

だが、ここで転機が訪れる。

 

尋常小学校を追い出された彼女のために、母親は必死で転校先を探した。そして「トモエ学園」という理想の受け入れ先を見つけることができた。トモエ学園は一風変わった学校だった。生徒の自主性を重んじ、授業はめいめいが好きな科目を選ぶことができる。本物の電車を転用した教室も彼女のお気に入りだった。校長先生は彼女に「君はいい子なんだよ」と言い続けた。その言葉は彼女の心の支えとなり、その後の人生で眠っていた能力を開花させてゆく。

 

小学校退学の過去などウソのように、順調に学力を伸ばしていった彼女は、やがて名門女学校を経て音楽大学へ入学。卒業後はNHKに入社し、テレビやラジオのレギュラー番組を何本も抱える人気者となった。その後も躍進はとどまることを知らず、紅白歌合戦では何度も司会を担当。民法トーク番組も当たって放送回数世界最多を記録し、ギネスブックにも認定された。また、トモエ学園での体験を綴った自伝的小説として知られる「窓際のトットちゃん」は累計800万部が発行され、戦後最大のベストセラーにまで昇りつめた。いまや、全国で彼女の顔を知らない者はいない。

 

もしもトモエ学園がなかったら、彼女はいま頃どうなっていただろう。華やかな仕事など望むべくもなく、職を転々としたあげくに路上で悶死するか、それとも犯罪者にでも成り果てていたか……考えただけでもぞっとする。

 

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そして、彼女の生誕から32年後のこと。

北関東某市の凡庸な家庭に、ひとりの男の子が生まれた。

 

彼は幼少の頃から変わっていた。入学先の小学校では整理整頓がまったく出来ず、机のなかでは食べ残しの給食のパンが腐っていた。宿題や提出物を忘れたり、教科書を失くしてしまうのも日常茶飯事で、一度などは家庭訪問の通知を親に渡すのを忘れてしまい、散らかり放題の我が家にとつぜん教師が訪れたこともあった。あきれ果てた教師は彼を「問題児」とみなし、露骨に軽蔑する態度をとった。

 

学校生活も送れないようなクズに対して、世間は冷たい。普通に考えれば、彼の人生はこの時点で「落伍者」として決定されてしまったことだろう。どこへ行っても軽蔑され、社会へ出てもミスやトラブルを繰り返し、出世からは程遠き、恋人も作れず、年月だけが無駄に過ぎてゆく……そんな最低の一生が彼を待ち受けていたに違いない。

 

そして、現実はまさにその通りとなった。

 

彼はイジメのターゲットとなった。一年生のテストの際にはいじめっ子らに取り囲まれ、答案用紙に出鱈目な回答を書き込まれた。やりたい放題の悪ガキどもに、彼はまともな反撃もできず、その答案を無理やり提出させられた。こうしてテストの点は一桁となる。彼は事の経緯を母親に伝えた。だが、彼女は聞く耳を持たない。ただの言い訳と勘違いしたのか、情けない息子に「こんな点をとってくるなんてウチの子じゃない」と拳の連打を浴びせてくる。この体験は彼の心に大きな傷を残し、その後の人生でさまざまな可能性を封じ込めてゆく。

 

精神的な屈折が原因で、中学、高校へと進むにつれて成績を落としていった彼は、まぐれも手伝い、辛うじて中流大学の入試に合格。卒業後は会社員になるものの、入社当初からあり得ないミスを連発し、人事の評価を著しく下げてゆく。その後も転落はとどまるところを知らず、何年会社に勤めても平社員のまま肩書もつかない。メンタルヘルスはますます悪化して心療内科の世話になり、服薬を二十年以上も続けているありさまだ。

 

もしも彼がトモエ学園に出会っていたら、いま頃はどうなっていただろう。会社なんかさっさと辞めてテレビの人気者となり、ワイドショーで発達障害の惨状を訴えて……ああ、くだらない。笑うに笑えない妄想だ。現実の彼は失業の恐怖に怯え続けている。いつかは住む部屋もなくして路上に果てるか、それとも犯罪者にまで落ちぶれるか……考えれば考えるほど、すべては現実味を帯びてくる。

 

このブログがテーマとする「発達障害者」とは、問題を抱えながらもよき理解者に出会い、才能を開花させていった一部の成功者たちではない。そんな幸運とは無縁の逆境にあがいている圧倒的多数の当事者たちに捧げるものである。

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