sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

ADHDとして生きるということ⑬ 出世コースから外れて  

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結局、転職は叶わなかった。退路などないことを悟った僕は、つらさに耐えながらも現職にしがみつく道を選んだ。

 

だが、いくら努力してもミスは減らない。仕事は遅い。要領も悪いのも相変わらずだ。そのたびにたくさんの人に迷惑をかけるし、怒られる。だから人間関係には人一倍気をつけなければならなかったのだが、そちらも修復不可能なほどこじれていたのだから最悪だ。原因をひとことで言えば、企業人たる僕の基本態度がなっていなかった。

 

よく専門家は「ADHDアスペルガーに比べて人間関係の問題は少ない」と説明する。たしかに僕には「人の表情が読めない」とか「曖昧な表現が苦手」みたいな極端な不都合はない。だから、腕一本が勝負の技術者のような職種であれば充分やっていけたと思う。だが悲しいかな、サラリーマンという仕事はそれ以上の対人スキルを求められる。僕はその域には到底達していなかった。

 

具体的には何が問題であったのか。詳細に挙げてゆこう。

 

まず第一に、僕は人の名前を覚えるのが苦手だった。顔そのものは一度会ったら忘れないのに、固有名詞を何度頭に叩き込んでも忘れてしまう。これが致命的な欠陥だった。

 

出世するサラリーマンというのは、とにかく人に関する情報を知り尽くしている。社内の人間はもちろんのこと、取引先や同業他社など、仕事にかかわるあらゆる人々について、名前や肩書、経歴や実績、はては出身大学やら出身地のような細かなことまで、極めて幅広く把握しているのだ。

 

かたや僕はどうかといえば、きちんと頭に入っているのは同じ課の人間とその周辺くらいのもので、フロアに溢れる全人員の半数にも満たなかったと思う。ときには大手取引先の社長から「そういえば、御社の〇〇支店にいた本部長さんの名前、何といったかね」と尋ねられ、答えられずに大恥をかいたこともあった。この社長は、しばしばわざとこういう質問をして、相手の「レベル」を試すのだということを後から知った。

 

話はそれるが、暗記が苦手なのは仕事の場だけの話ではない。実は僕は、テレビに出てくるタレントや有名人、アスリートらの名前もすぐ忘れてしまう。ひどいときには「君、本当に日本人か」と呆れられてしまうほど重症なのだ。まあ、僕も現在は中年であり、記憶が怪しいのはお互い様だから「よくあること」で済んでしまうのだが、二十代の頃からその調子なのが問題だった。

 

もちろん何の対策も打たなかった訳ではない。暇なときには名刺入れを見返したり、携帯できる取引関係者名簿を自作したりと、さまざまな対応策を工夫した。だが、社内でそんな苦労をしているのは僕くらいのものだ。みんな普通に仕事をしているだけで、すぐに人名を暗記してしまう。ましてやテレビタレントの名前など、ぼんやりテレビを観ていればおのずと頭に入ってしまうのが普通だろう。ところが僕にはそれができない。発達障害との因果関係は分からないが、やはり脳機能に何かしらの問題があるのは間違いないと思う。

 

だからといって、僕は高齢者のように暗記力の全般が劣っている訳ではない。視覚的な映像であれば一瞬で脳に焼き付いてしまうし、当時は珍しかったワープロを習得するのも早かった。それ以上に自信があるのが、以前に鑑賞した漫画や小説、映画やテレビドラマのストーリーを事細かに覚えてしまうことだ。現在も人気の「ガラスの仮面」という漫画の冒頭で、女優志望の主人公が一度観たドラマの内容を丸暗記してしまう場面が出てくるが、僕もそれに近いレベルといっていい。ときには友人や恋人もびっくりするほどの特技なのだが、もちろん会社で何の役にも立たなかったことはいうまでもない。

 

それでもまあ、ただ名前を忘れるだけならなんとかなる。社内の人間はみなネームプレートを着用しているし、顧客訪問時には事前に相手のプロフィールを再確認しておけばよい。困るのは、突然来社した外部の人の名前が出てこないことくらいのものだ。

 

むしろ深刻だったのは、仕事上でつき合わざるを得ない人々のことを、心のどこかで拒絶してしまっていたことだろう。

 

サラリーマンの評価を決めるのは何か。むろんこの企業にも体系化された人事考課があった。その判断基準は、一見極めて合理的で客観的なもののようにみえるが、それを運用するのは所詮人間だ。どうしても主観が入るし、感情も混じる。結局、出世の最後の決め手となるのは「しかるべき人物からどれほど気にかけて貰えるか」にかかっていた。極論のようだが紛れもない事実で、僕自身、多くの先輩たちから「この会社で偉くなりたかったら評価の高い者に好かれろ。ただ仕事で頑張るだけじゃ駄目だ」と異口同音に聞かされてきたものだった。

 

そのことをよく分かっているから、若手社員は酒のつき合いが実によかった。カラオケやボーリング大会などのイベントにも積極的に参加し、縦横の人とのつながりを作っていった。一度、同期の有志が泊りがけでスキー旅行を企画した際には、人事部の育成担当者もやってくることになったため、スキーの未経験者までが競うように集まってきた。参加者は四、五十人くらいいたと思う。

 

新人のなかにはゴルフコンペの頭数として重宝されている者が何人もいた。さらに運動神経がよければ、業界対抗のスポーツ大会の選手として引っ張りだこだった。かたや僕に声がかかることは絶対になかった。むろん、僕の運動音痴をひと目で見抜かれてのことだろう。だが、もしも今後本当に企業人としてやってゆきたいのであれば、不器用だろうが足が遅かろうがなりふり構わずどこへでも飛び込み、顔を売ってゆくべきではなかったか。むろん僕が野球やサッカーのレギュラーに抜擢されるなどあり得ないことだが、それなら観客席で応援に徹しているだけでも充分だったはずだ。

 

ところが僕は、そんなふてぶてしさ、図々しさに欠けていた。同期の者たちが休日返上で人間関係づくりを進めているのに、自分はいつも蚊帳の外に置かれている。それでも呑気な僕は危機感を感じていなかった。むしろ休日を確保できた安心感ばかりがあった。平日でさえ披露しきっているのに、さらにプライベートな時間を割いて職場とのつき合いに明け暮れるなどとんでもない。休めるときは休んで体力を温存しなければ——

 

実際、営業職への配属から一年も経つと、僕の心身は疲労の限界にきていた。とりわけ精神的な消耗は深刻だった。といっても意気消沈しているのではない。逆に緊張感からテンションが上がってしまい、正常な精神状態が保てないことが続いていた。やがて上司や先輩、ときには同期も、異口同音に毎日「落ち着け」と叱咤するようになった。そのあとに指示や連絡が続くことも多かったが、内容はまったく頭に入っていない。おかげでまたミスをする。そしてその都度動揺する。感情が顔に出てしまう。つい大声も上げてしまう。そこで電話でも鳴ろうものなら、ますますイラつき、ときには相手を怒鳴りつけるようなことさえある有様だった。

 

もはや命の電話で解決できるレベルではなかった。もしもこのとき心療内科を訪ねていたら、のちの人生も少しはましになっていただろうか。いやいや、この時代の精神医療のレベルでは、よほどいい医者に巡り合わない限り、薬漬けにされた挙句に休職へと追い込まれていた可能性もある。いずれにせよ、僕はまだ自分の精神疾病など考えもしなかった。うつ病のような病気が世間に認知されるにはもう少し年月が必要だった。

 

しかしながら、どんな理由があるにせよ、自分の感情も抑えられないようではサラリーマン失格だ。僕は人事考課を挽回不可能な域まで急落させていった。

 

そのまま数年があっという間に過ぎた。元号は昭和から平成へと変わっていたが、僕はまったく進歩のないまま足踏みしていた。春になると、部署には必ず新人が配属されたが、僕はいつまで経っても彼らの指導を任せてもらえなかった。少しでも先輩風を吹かそうものなら、口の悪い職制から「お前だって新入社員みたいなもんだろう」と罵倒が飛んだ。取引先の人が見ている場でもお構いなしだった。

 

こんな僕でも、季節になれば取引先からたくさんのお中元やお歳暮を頂いた。別に自分の実力を買ってくれていた訳ではない。あくまでも背中に背負っている企業の看板のおかげだ。そのくらいは、いくら鈍角な僕でも自覚していた。

 

贈呈品には酒類が多かった。珍しいものでは、地酒ならぬ地ウイスキーを送ってくれる地方取引先もあったが、ベテランの職制のなかには「酒の味も分からないくせに」と陰口を叩く人もいた。靴下やハンカチのような日用品を頂けるのも有難かった。ADHDならではの不精な性格のために、これらの物を定期的に買い替える習慣がなかった為だ。もしも「ハンカチが古くなったな」と思ったら、出勤前に包装と箱を乱暴に破いて、中身をポケットにねじり込む。色やデザインを確かめる余裕もなかった。

 

ある日のこと。数週間ぶりにクリーニングへ出したスラックスのポケットからハンカチが出てきた。入れっぱなしだったしわくちゃなハンカチには、犬や鳥などの絵が細かく散りばめられていた。見慣れていたはずのハンカチの、こんな見事で繊細なデザインに、僕はまったく気づかずにいた。まさか仕事中の自分がそれほど追い詰められ、余裕のない状態に晒されていたとは。その日から、僕はこまめにクリーニング店とコインランドリーへ通うようになった。

 

ともあれ、人間関係だけでも何とかしなくてはいけない。このまま突っ走っていったら、本当に会社で四面楚歌に置かれてしまう。そんな「まったなし」の状態を切り抜けるためにやったのが、とにかく酒席を盛り上げることだった。

 

これまで何度も書いてきたように、僕は決して酒が強い方ではないが、それでも懸命に飲みまくった。スポーツ大会にもゴルフにも誘われない僕が、深刻な孤立を避けるためにはそうするしかなかったのだ。幸いにも、僕はアルコールが入ると饒舌になる。日中、ストレスで陰鬱にしているのとは大違いで、そのギャップが高卒の先輩たちを中心に面白がられた。そのことでいろいろな繋がりができ、仕事で困っている僕を助けてくれたり、相談に乗ってくれる人も少しずつ増えてゆく。新入社員の頃、あれほど嫌でたまらなかった酒が、結局は僕と職場とを結ぶ命綱となった。

 

新年会や納涼会など、もっと大きな宴会でも活躍した。大卒の先輩らがつまらないマンネリ芸を披露したあと、僕はたいてい最後のほうで一芸やらされ、大いに場を沸かせた。特に人気があったのはオリジナルの替え歌だった。内容はといえば、仕事の愚痴やら下ネタやらを盛り込んだ際どいもので、一歩間違えば場をしらけさせるリスクがあったが、その点は充分に留意してひねりを効かせる。そうして考え抜いたネタが受けたときは最高だった。宴会の幹事をやらされることも増え、ときには「君はいい店を探してくるね」と褒められることもあった。

 

その手腕を買われてか、今度は課全体の旅行の幹事もまかされることになった。現在の会社では考えられないかもしれないが、この時代のサラリーマンやOLは、秋頃になると、たいてい一泊二日の旅行へ付き合わされるのが恒例となっていた。バスで移動中の時点で缶ビールをあおり、宿に着いたあとも宴会が長時間続けられ、翌日は二日酔いのまま地元の観光名所を連れまわされる。東京へ戻るのは、いつも夕刻過ぎだった。

 

僕はこれを一新した。スケジュールのうち、翌日の観光名所めぐりを一切止め、疲れ切っている皆の帰宅を早めることにしたのだ。そうすると名所めぐりで使うための経費が浮くことになるが、その分を宿代と宴会代に上乗せすることで、例年よりもはるかに高級な温泉旅館へ泊まり、豪華な料理をふんだんに味わってもらうことができる。

 

これが大当たりだった。

 

バスが旅館に着くと、風情ある門構えや建物に歓声が上がった。入口や廊下にも風格があった。部屋も広い。景色もよい。温泉もおおむね好評で、露天風呂の向こうにはライトアップされた滝が配されていた。宴会には活け造りの大皿が食べきれないほど並んだ。おまけに大吟醸の一升瓶を何本もサービスしてもらった。ここまでは上々だ。

 

だが、心配なのは翌日恒例の名勝散策をいっさい止めてしまったことだった。すべては僕の独断でやったことだが、もしかしたら「もう旅行、終わっちゃったの」などとブーイングが出たりしないものか。

 

結果から言えば、それは杞憂に終わった。旅館のチェックアウトを済ませると、みんなさっさとバスへ乗り込んでゆくだけだった。そのまま正午過ぎに東京へ着いてしまったが、文句を言う者はひとりもいない。夜にさんざん飲み明かしているのに、翌日も二日酔いの頭で午後まで景勝地をめぐるなど、本当は誰もやりたくなかったのだ。いま思えば、これはADHDのプラス面が存分に発揮された好事例といえるだろう。形式や慣習にとらわれず、他にない発想を思いついたおかげで良い結果が出すことができた。もっとも、旅行幹事というスタンドプレーでなければ、こんな身勝手は許されない。企業組織にとって、ADHDが扱いにくい存在であることに変わりはなかった。

 

ともあれ、この旅行のおかげで課長が僕をみる目は変わった。その後もことあるごとに「君は責任感がある」と言ってくれるようになったのだ。仕事ではなく、たかが旅行幹事でそこまで評価が変わるのかと思われるかもしれない。が、すでに書いたように、人事考課というのは額面ほど客観的なものであるどうかは疑問だ。どうしても評価者の主観が入る。好みも出てくる。もちろん仕事の実績も重視されるが、それ以外の「目に見えない要素」も大いに大切なのだった。

 

続く

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