sonicstepsのブログ

トットちゃんが妬ましい。エジソンを目指すとかあり得ない。 一部の成功者らの美談はさておき、多くの当事者にとって、発達障害はやっぱりつらい。 おまけに憎い。何よりそいつはかけがえのない人生を奪った元凶なのだ。 だけど……それでも僕らは生きてゆく、終わることのない絶望の毎日を。

僕は50過をぎても発達障害をやってる冴えない中年男です。エジソンやジョブスがどうかは知りませんが、僕自身にはさしたる個性も才能もなく、人生の敗残者として悶々とした日々を送っています。このブログで取り上げる発達障害者とは、一部メディアが持ち上げるような「障害を素晴らしい個性へと開花させた成功者」のことではありません。僕と同じく底辺を這いずる圧倒的多数の当事者たちに捧げるものです。

ADHDとして生きるということ⑥・高校(前編)

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——高校へ行ったら、自分はきっと生まれ変わってみせる——

 

中三までの惨めな日々との決別を誓って、僕は共学の県立高校へ進学した。ここで人生を変えられなかったら、きっと死ぬまで後悔することになる……何とも青臭い思い込みだが、当時は真剣だった。

 

同級生のなかには同じ中学から進んだ顔ぶれも混じっていた。性格の悪い奴でもいたら嫌だったが、男子に限ってみれば、僕と不仲だったような者はほとんどおらず、とりあえずは安心した。

 

だが、問題なのは女子の方だ。

 

決して大人数ではないが、中学時代にとりわけ僕を忌み嫌っていた女子数名が、いくつかのクラスに点在している。おかげで毎日、気が気ではなかった。遅かれ早かれ、連中はまた残酷な噂をばら撒くに決まっている。僕への先入観をまったく持たず、いまのところ普通に接してくれている多くの女子たちが、いつあの連中に感化されて豹変するかもしれない。それが何よりも怖かったのだ。

 

朝の教室へ入るたびに、女子全員の視線がいちいち気になる。明らかにパラノイアの状態だ。彼女らの会話には始終注意し、僕の話題が交わされていないかと聞き耳を立てる。少しでも妙な目つきを向ける子がいたら、何気ない会話をふって「無視されはしないか」と確認する。何があっても中学校時代の悪夢を再燃させてなるものか。

 

僕は必死で人気者になろうとした。目つきに気をつけ、喋り方に注意し、腋臭の薬を片っ端から試してみる。品のない猥談は慎んだ。体力づくりのトレーニングにもいっそう励んだ。その甲斐あってか、高校一年のあいだは、まあ穏便に過ごすことができたと思う。恋人がいた訳ではないが、共通の話題を交わせる女子の友だちが数人できた。中学時代と比べたら大きな前進だ。男友だちもできた。下校時に寄り道する楽しさも覚えて、大勢の友人といっしょに繁華街へ繰り出し、ゲームセンターで得点を競い合う。ひとりでゲームに興じていた中学時代とは大違いだった。

 

これほど快適な一年をすごせたのは、クラスがとても良くまとまっていたことも大きい。いじめもなく、仲間外れも皆無の集団というのは、なかなか巡り合うことのできない有り難いものだ。ただし、僕たちは単なる友情だけで結束していたのではない。背景には、校内に蔓延していた教師の暴力があった。それに対する反発心を共有することで、仲間意識を強くしていたのだと思う。

 

まず担任の男性教諭が悪質だった。気に入らない生徒に目をつけ、事あるごとに揚げ足をとっていたぶるのだ。なかには朝礼で連日罵倒される男子もいた。彼はすぐに不登校となり、挙句に学校を中退してしまう。僕はその後も彼と交流を続けたが、彼の母親はことあるごとに「あの先生さえいなければ」と恨み節をこぼしていた。

 

他にも問題のある教師は多かった。なかでも札付きの人格破綻者として有名だったのが、初老の生物教師だった。戦時下を軍隊で過ごした後遺症なのか、授業中に物を投げたり、生徒に平手打ちを喰らわすのはあたりまえ。なかには顔面をスリッパで連打された者もいたらしい。

 

ひどいのは体罰ばかりではない。授業の内容も無茶苦茶だった。

 

生物学の用語や単位というものは、年を追うごとに表記基準が改正される。たとえば当時(現在でも)の教科書では「キロカロリー」は「kcal」と表記されたが、その昔は「Cal」と書いていたらしい。これらの表記は最新の計量法やSI単位に倣うことが教科用図書検定基準で定められているはずだが、このふざけた生物教師は教科書に従わず、「kcal」ではなく「Cal」と書くことを強要した。もしもテストで「kcal」と書いたら「マイナス20点だ」などと言い放つ始末だ。その他の生物用語についても同様で、臓器器官や細胞の部位など、あらゆる分野で廃止されている呼称ばかりを覚えさせられた。これでは大学受験に臨むなど論外だ。

 

さらに極めつけだったのは、彼はテストの解答で旧仮名づかいを使わないと不正解にした。信じてもらえないかもしれないが、「ニワトリ」を「ニハトリ」と記入しないと✖にされるのだ。この話は学校中に知れ渡っていて、他の教師は笑いを取るためのネタにしていた。校長率いる教師陣がこの暴挙を知りながら黙認していたのは間違いない。

 

僕たちは黙っていなかった。クラスが一致団結して担任教師を呼びつけ、全員で吊し上げようということになったのだ。(さすがにスリッパを振りかざす生物教師を呼び出すのは怖かったので、不幸な担任がターゲットになった)

 

血気盛んな行動の背景には、あるテレビドラマの影響もあった。当時から中高生に人気のあった「3年B組金八先生」の第2シーズンだ。クライマックスは数ある金八シリーズの中でも屈指の傑作とされているエピソードで、教師の暴力に傷つけられた不良少年が抗議行動を起こし、校内放送で校長らに謝罪を迫る物語が描かれている。これに感化された僕たちは、「うちのクラスでも同じことをやろうぜ」と盛り上がってしまった。

 

虚構と現実の区別もつかないバカさ加減に我ながら呆れる。顔から火が出る思いとはこのことだ。当たり前だが、こんな目論見がドラマみたいにうまくいく訳がない。

 

反乱決行の当日、僕たちのほとんどは教室に残った。みな机の上に座ったり、足を組んだりと、精いっぱいの示威的なポーズで対決に備えている。だが、誰が職員室へ担任教師を呼びに行くのか。いざとなると、みんな顔を見合わせるだけで動こうとしない。結局腰を上げたのは、体育会系の気丈な女子の二人組だった。

 

とうとう担任がやってきた。まだ何も知らされていないのか、顔が穏やかに笑っている。僕はクラス全員が怒り狂い、野獣の群れと化すような場面を想像した。その混乱に紛れて(せ、せこいなあ…)僕も担任に敢然と立ち向かうつもりでいたのだ。が、教室は完全に沈黙している。ついさっきまで多くの男子が息巻いていたのが嘘のようだ。やっとのことで若干名がおずおずと抗議を試みたが、意気がる思いとは裏腹に、つい敬語が出てしまうありさまだった。

 

黙り込んでいるクラスメートを尻目に、僕はとうとう声を上げた。自分でも驚くほどの勇猛さだった。しかし、ここでADHDの致命傷である早口が出てしまう。セリフを懸命に喋っても担任には通じず、苦笑いを返されるだけだった。

 

膠着状態を打破したのはひとりの女子だった。毅然とした態度で担任と向き合うと、生活指導で深く傷つけられたことをぶちまけた。内容は当事者にしか分からないことも多かったが、どうやら彼女の交遊関係を「非行」と決めつけた担任が、本人ではなく親に注意勧告をしたことが辛かったらしい。彼女は猛烈な抗議を続けた後で号泣した。担任はおろおろとなだめるしか術がなかった。

 

翌朝、担任はいつもより長めのホームルームを行った。冒頭で説教じみたプリントを配ったのは気に入らなかったが、冷静に僕らと話し合おうという思いは伝わってきた。滑稽で情けない反乱ではあったが、担任もそれなりにショックを受けたのだろう。生徒を退学するまで追い詰めることもなくなった。

 

教師という共通の敵をもつことで、僕たちはみなまとまった。優等生もツッパリも運動部員もアニメのマニアも、みんなクラスの仲間だった。なかには極端に無口な生徒も数人いたが、彼らをイジメる者など誰もいない。こんな連中と出会えたのは初めてだ。このまま高校生活の三年間が過ぎていったらどんなに素晴らしいことだろう……。

 

だが、現実はどこまでも残酷だった。二年生に進級し、クラスメートと散り散りになってしまったとたんに、僕はふたたび人生の試練に巻き込まれることになる。

 

続く

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